長崎東部親教会 三代教会長 長田二郎先生が、昭和61年9月22日にお国替え(逝去)になられて今年30年になります。式年祭が仕えられるに併せて偲び草を刊行させていただこうと、長田二郎先生との生前の教話や、各機関誌に執筆された文章や写真などを今一度集め直して、編集する御用を手伝わせていただいています。
ふっくらとした、お相撲さんとまではいきませんが、腹の少し出た体格から、にこやかな笑顔や立ち振る舞いから優しさが溢れていて、皆から慕われた先生でした。その二郎先生が終始一貫してお話しになったことは、「信心即生活、生活即信心」という言葉でした。金光教にご縁をいただいた私たちは、天地金乃神様を親神様と仰ぎ、神様と教祖様との間の約束で生まれた生神金光大神取次を頂き、日々の生活の場で教祖生神金光大神様がさとし導きくだされた御教えの実践に努めてきました。この努めが信心であり、その信心に取り組むことによって、日々の生活の上におかげをいただいてきたのであります。
しかし私たちは、欲が出たり人間心が強く出ますと、おかげを求めるばかりに、問題解決や自身の願い通りになることをおかげと受け止めて、信心が“おかげ信心”となっていくのです。おかげを頂くまでは一生懸命信心に取り組み(教会参拝に力を入れ)、おかげを頂いたら信心が止まる(教会参拝が終わる)。こういう生き方を私たちは信心と呼び、それを信心と思い込んでここまできました。「その生き方が間違いです」と長田二郎先生は指摘されたのでした。金光教の信心を、おかげ信心にしてはならない。神様を拝むだけにしてはならないと諭されました。
“信心”という言葉を使うからおかしくなっているのではないか。金光教は“信心”と書かずに“神人”と書くべきだと、二郎先生はみ教えくださいました。
つまり、日々の生活の中で神様と私たちが一緒に生き、歩み、神様も喜び、私たちも喜ぶことが生まれる生き方をしてほしいと、「信心即生活、生活即信心」と書いて教えてくださいました。
私たちの日々の生活のどこを取り上げても、見つめても、そこに神様がなければならないということです。神様は教会にあって、教会参拝の時だけ神様に心が向いているのは普通の生き方です。その普通の生き方を突き破り、一歩奥に進んだところに、神様と共にある生活があるとおっしゃいました。
生きることがそのまま信心であり、生かされて生きていることが即信心であるわけですから、日々の生活の場には、喜びもあれば悲しみも苦しみも生まれます。病気にもなれば、咳もするし熱も出るし鼻水もでます。便秘にもなるし、転んだりもします。そのとき、そこに神様が存在していないと、神様が生まれてこないと信心と言えないのです。
「金光様 天地金乃神様」と御名を唱え、神様と一緒に喜び、泣き、一緒に事に取り組む生き方が金光教の信心です。ですから“信心”と言わずに何か別の文言はないかなあとも、二郎先生はおっしゃっておられました。
その偲び草は9月に発行予定です。
稽古事、習い事に“道”という文字を使います。その道がついた取り組みには稽古が必要ですし、稽古する場所がいります。そして稽古を重ねて道を歩み、段を重ねる、級が上がっていくのです。私たちはあえて道を付けるなら、“生活道”を歩んでいるのではないでしょうか。その生活道に取り組む、稽古場所(道場)が教会です。教会参拝して稽古を重ねた方々は、やはり段を重ねておられます。稽古が減ったりやめた方は、いつまでも足踏みしておられます。
弟子が道場に一人もやってこなければ、道場主は稽古もできず、一人じっと座っているしかありません。道場主も少しも上達しません。弟子と一緒に稽古をしながら、弟子も道場主も上達していく“生活道”に取り組みたいと思います。
金光大神のみ教え
- 広前は信心のけいこをする所であるから、よくけいこをして帰れ。夜中にどういうことがないとも限らない。おかげはわが家でいただけ。子供がある者や日雇いの者は、わが家を出てくるわけにはいかない。病人があったりすれば、それをほうっておいて参ってくることはできないから、家族中が健康な時に、ここに参ってきて信心のけいこをしておけ。(天地は語る-教典抄-155項)
- 参って来なさいとは言わないが、たびたび参った人は、たびたび参っただけの神徳はいただけるであろう。たとえば、学校へ長く行った人は、何かと知っていることが多い。たびたび参ってくる人は、金光大神の話を聞き覚えて、何かと知ることがあろう。またたびたび参っても、自分の思うことを頼み、帰ることを急ぐ人は、勝手な信心で、金光大神の話すことは何も分からないであろう。(天地は語る-教典抄-151項)
金光教諫早教会長 原 正忠
(広報誌のんのこ2016年6月号より転載)
コメントをお書きください