先月(6月)、野球米国大リーグ、マーリンズのイチロー選手が日米通算安打でメジャー記録を抜き、テレビ新聞で大きく報道され、今年の明るい十大ニュースの一つになりました。来月(8月)はリオオリンピック(ブラジル)が開催されます。日本人選手の活躍が楽しみであります。
こうしたニュースのたびに「夢に向かって」とか「夢を実現した」などと夢が語られます。
私たちは大なり小なり夢を持ち、夢の実現を願い、少し,または一つは達成できた、手に入れたとお礼を申す。あるいは、夢に向かって今努力していますと願いを新たにします。中には、もう夢を持つことさえ忘れ、「今更夢なんて」と否定して現実に振り回されることもあります。
金光教祖様は、夢とは言われていませんが、「私にも欲があります」とおっしゃっています。「あなた方は小さいことばかり考えているが、金光大神は、世界をこの道でつつみ回すようなおかげがいただきたいと思っている。」(金光経典抄 395項)
「欲を捨てることについておたずねした時、『いやいや、私にも欲がある。世界の人を助けたい欲がある。欲を捨ててはいけない』と仰せになった。」(金光経典抄 396項)
今年平成28年も半年が終わり、暦の上では下半期が始まりました。今一度、今年の願いは何だったのか?今年の正月に神様にお願いした願いは何だったのか?いや、もっと昔に戻って、夢(教祖様の言われる欲)を持ったことを考えてみたいと思います。
父(前教会長 原 正知師)は大学時代に結核を患い、志半ばで帰郷。戦時中、多くの一般男子と同様に軍人になってお国のためにお役に立ちたいと願いました。しかし、生来の病弱の身、体力も十分でないため、軍隊に入っても肺病が再発し長続きはしませんでした。病弱の青年が養生のためとはいえ、家で遊んでいるような状況に、両親はどれほど心を痛められたでしょう。
「 時津の青年学校の先生をして頂けないか」と声がかかり、両親は大変喜びました。正知師もこれで親孝行できると、学校の先生になられました。
二年ほど勤務した頃、口之津教会長 伊達トリ師から「金光教の先生にならんね」と勧められ、これまで伊達トリ師の取次に助けられ、教導を受けて成人成長できた御恩を十分認識していただけに、「人が助かるために神様の御用をしたい。神様のお役に立ちたい」と、金光教学院に入学を決めます。
伊達トリ師は、「今は親不孝のようにあるが、先で必ず親孝行になる」とご理解され、当時の青年学校の校長先生は「教員は代わるものもできるが、宗教家は代理ができる人はいない。あなたが、そうまで決意が固いならその信念を成就してください」と、励ましてくださいました。
原正知師は、金光教の教師になり、実父の最期の看病ができ、「世に宗教屋は多い。しかし宗教家は少ない。良い宗教家になってください」と有難い遺言を頂くことができたと、私は正知師よりたびたび、実父との関係について話を聞いていました。
私も父と同じような道を、いつの間にか歩んでいましたが、大きく夢は違っていましたし、その向かい方も外れていました。私は学校の教員になるとき「将来校長になってやる」と友に語ったのか、心の中に言い聞かせたのか定かではないですが、夢を持ちました。
教員2年目に母から「父の健康状態が良いとは言えない。今のうちに金光教教師としての資格を取っていて欲しい」と頼まれそれを受け入れました。
当時の父のこと、教会の実情、私の学校関係のことなどはっきりしないのですが、よく母の思いを受けたなと思います。
金光教の教師として任命を受けたとき、改めて立教神伝【安政6年、金光教祖様が神様から、家業を辞めて自宅の神の広前に座り、人々の願いを取次ぎ助けてくれと頼まれた】を頂きます。その神伝の中に【…其方四十二歳の年には病気で医師も手を放し、心配いたし、神仏願い、おかげで全快いたし。そのとき死んだと思うて欲を放して、天地金乃神を助けてくれ。…】という一文があります。今日までこの【死んだと思うて欲を放して】のところで立ち止まってしまいます。
そういう覚悟でいるのか、本当に欲を放してきたのかと自問自答するとき、父(前教会長)の覚悟、直信先覚、歴代教会長先生方の覚悟、姿勢、信心ぶりに、たびたび恐れ入るばかりです。
今一度、私自身の欲(夢)をはっきりさせ、一歩一歩近づいていきたいと思うこのごろです。
金光教諫早教会長 原 正忠
(教会広報紙のんのこ7月号より転載)
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