信心する人は・・・神と仲良くする信心である

 金光教をお開きになったといいますか、神様と一農民との間の働き合いによって生まれた(この世に現れた)神を、この世に示してくださった教祖  生神金光大神様が、明治16年10月10日ご帰幽になって今年137年。

 教祖様の生前のお徳を称え、神様としてお祭り申し上げる【教祖大祭】が時代と共に盛大となり、やがて【金光大神大祭】【生神金光大神大祭】と名称を変えて今日、ご大祭として仕えられています。ご本部を始め各地の教会で仕えられるご大祭の月を迎えました。

 

 私たち氏子が精一杯生きている姿、難儀に苦しんでいるのをずっと見てこられた神様が江戸時代の末期、岡山県浅口郡大谷という片田舎の一農民をつかまえて、【農業をやめて氏子を取次ぎ助けてやってくれい】と頼まれました。

 その一農民(のち教祖金光大神となる)は42歳の時、大患を通してその神様と出会われ、以来4年間神様の願い・頼みをわが事と受け止め、神様の仰せのままの生活を通して、ますます神様の存在を自覚し、生活の上に大きな《みかげ》を頂いてゆかれました。

 46歳の時、神様の頼みを受けられて農業をやめ、農家(自宅)のひと間に神を祀り、神前に一日中座って難儀な氏子の願いを神に取次ぎ、神の思い・み心を氏子に伝える生神金光大神取次の働きが始まりました。

 これが金光教の始まりとなっています。

 

 金光教にご信縁を頂いた私たちは、この神様と教祖様との働き合い(のち、この働き合いを【氏子あっての 神あっての氏子 あいよかけよの働き合い】を示された)を神習って取り組んでいかねばなりません。

 日々の生活の場に【氏子あっての神 神あっての氏子】の生き方を現していくことが、それが信心というのです。

 教祖様は、【この道は、信心といわず神人というのぞ】と言われています。

 苦しい時の神頼み・正月三が日の初詣と違うところは、【神人】と表現し、神と共にある生き方を自らも求め、そして私たちに示されたことです。

 平成28年 オリンピックで活躍する明るい話題も多くありましたが、熊本地震など多くの災害や事件・事故も発生しました。

 こうした時代社会の中で【信心】という取り組みより、教祖様が取組まれた【神人の生き方】が今こそ私たちに求められていると思えるのです。

 

91 日に日に生きることが信心である

92 しんじんとは、信の心ではない。金光大神は、しんじんを神人と書く。

93 信心をせよ。信心とは、しんはわが心、じんは神である。わが心が神に 

  向かうのを信心という。恩徳の中にいても、人間に信がなければ、おか

  げはない。                    《天地は語る》      

 

 日々の生活の場で、わが心を神に向ける生き方とは、教祖様が自ら一生貫き通された【実意丁寧】な生き方です。

 どこまでも真(まこと)の心を貫き通し、物の接し方にも丁寧・親切を尽くす、世話になるすべてに礼を言う心を持つなど、私たちが日常生活のところで、当たり前・当然としていることを改まり、一つ一つに一つの取組み・取組みに実意を尽くし、丁寧親切で接していく。

 お礼の心を土台にして取組みをしていくことであります。

 

*    洗面の水は、流しっ放しにしていませんか

*    お便所での小用・お通じに、しっかりお礼を言っていますか

*    夜具(寝具)にお礼を言って片付けていますか

*    下足は、きちんと下駄箱に仕舞われていますか

*    机の上は、きちんと整理していますか

*    テレビや机の下など、ホコリはありませんか

*    庭に草木がやりっ放しになっていませんか

 

113 「今月今日で一心に頼めい おかげは和賀わが心こころにあり」という見識を落  

としたら世が乱れる。神のひれいもない。親のひれいもない。《天地は語る》

 

 神様も、教祖金光大神様も、氏子も喜ぶ今月今日となりますよう、皆様と

一緒に【信心】を・【神人】を取り組んでいきましょう。    

 

金光教諫早教会長 原 正忠

(教会広報紙のんのこ2016年10月号より転載)