先月、孫の幼稚園運動会の場所取り(家族がテントの中で応援する場所)を頼まれた。8時スタートを考慮して30分前に会場に到着したが、すでに5番か6番くらいだった。その後、同時に10名近くの人が集合してあっという間に運動場入口から歩道に列ができた。
昨年も同様のことを体験したが、運動場の中で並んだことを思い出し、幼稚園の先生に相談に行った。それに対して指示したり、回答できる人はいなかった。みんな開会までの準備に追われていた。
園長先生らしき人に「みんなを中に入れますよ。歩道に並ぶのは、危険ですから」と了解を取り、並んでいる人を誘導して中に入れた。
前日そして当日早朝までの雨のため、屋根の部分だけたてていたテントに水がたまり、場所取りの8時スタート(運動会の開始は9時30分)に対して、保護者用テントは一つも立っていなかった。先生たちがバケツや雑巾ですくい上げているのを見て、「これはダメだ。間に合わない」と思ったら、私の体は動いていました。
場所取りのために並んでいる保護者に向かって、「ご自分の敷物に道具を置いて、テントの水抜・テントの設営を手伝ってください。間に合いません。」と呼びかけていた。5〜6名の男性がすぐに行動を起こしてくださった。
保護者席用テント6張り・園児用テント4張り・その周りの紅白幕張り・運動場内の赤、白、黄色のライン引き・本部テント内のクロスかけ・園児の椅子並べなど、次々に準備することが出てくる。それを全て、先生たちだけでやろうとしておられた。会場に来ていたお父さん・お母さんたちに次々とお願いして、先生がたの準備を手伝ってもらった。前日または早朝の雨がなければ例年通りで、事前の準備や当日のことも、先生方や役員の方の手で、出来上がっていたのであろうが。
運動会の始まる前にひと仕事したみたいに、汗をかいたので下着を着替え、何くわぬ顔でカメラ抱えて孫たちの活躍を応援した。
教会の御用のため昼前に退場したのだが、子供たち家族が運動会から帰ってきたら、『おじいちゃんの大活躍のおかげで開会に間に合ったと、先生方みんなからお礼を言われましたよ』と真奈美さんのご家族まで口々に言われた。私自身目立ったりするつもりもなく、名乗り上げていませんでしたが、バレバレだったそうです。孫たちの応援に来た「いち老人がお役に立てたことで良し」と私は自己満足していて、誰にもしゃべるつもりもなかったのですが、後日幼稚園より『お世話になりました。ありがとうございました』とお礼の寸志(お菓子とタオル)を頂きましたので、神様へお供えしお礼申し上げると同時に【のんのこ】に記載し、公表してみなさんに老人の活躍をちょっぴり知ってもらおうと思いました。
金光教祖様の生き様・日々の生活ぶりや、さらに農業をやめて自宅を広前とされて取次に専念され、その取次の働きによって参ってくる人が助けられていきました。天地の親神様(天地金乃神)は、教祖様の生活ぶり(お役に立つ働き)や人が助かる働きを大変お喜びになられ、教祖様と神様とが一緒に喜び合われました。神様が毎月10日、教祖様自ら【自分自身のお祭り】をするように命じられたのです。それが【金光大神祭り】と言われています。
教祖金光大神様のみ教えに
【三年五年の信心ではまだ迷い易い。十年の信心が続いたら、我ながら喜んで我が心をまつれ】とあります。
信心のご縁を頂いた私たちは、【我ながら喜んで、我が心をまつる】ことができる【おかげ】を頂いてほしいと願われたのです。【我が心】とは、【喜び和らぐ心】と教祖様は仰っておられます。腹が立つ自分・不平の多かった自分・グチの多かった自分・思い上がった自分・働き嫌いの自分・当たり前だと思っていた自分が、だんだんと腹の立たない、嬉しい有り難い自分になって、自然と自分が尊く拝めるようになることが、教祖様の言われる【生神】ということではないでしょうか。
【生神】とは、【ここに神が生まれる】と言われています。
日々の生活の場に、良いことが生まれ、お役に立つことができ、周りの人が喜び助かる働きが生まれてきた時、そこに神が生まれたのであり、生神の心になれた自分(私)がそこにいたということです。
孫の運動会の出来事は、私が現場を見て腹が立ち不平不足で先生方や役員を責めていたら、神は生まれてこなかったでしょう。「ハイ」と返事ができ、老人の体が動いたその瞬間、生神の時間だったと思うのです。「われとわが心をまつる」おかげの時間を神様が下さったと思います。
11月27日 諫早教会 生神金光大神大祭に向かって、一つでも二つでも又一日でも二日でも、そこに神が生まれるように。そして当日「われ(私)とわが心をまつる」みなさんとお礼の言えるお祭りになるように願っています。
金光教諫早教会長 原 正忠
(教会広報紙のんのこ2016年11月号より転載)
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