神は、わが本体の親ぞ。信心は、親に孝行するも同じこと。

 お隣のご主人が車を洗い、丁寧に拭き取りをされています。その動きが「この方は車が好きなんだなあ。車を大変可愛がっておられるのだなあ」とわかります。

 私は、といえば申し訳ないことですが、もう何年も洗車してあげていません。

 冷たい風の中では一層出不精になって、ただお隣さんをみているだけです。

 

 私たちがご信縁を頂いた神様は、【天地金乃神】と言います。

 日本古来の神名簿にも載っていないお名前です。

 岡山の地で農業をされていた教祖様(川手文治郎という名前です)が、養子に入られ家督を継ぎ結婚され、子供さんを頂き、養父母との同居生活を通し、田畑を広げていく努力をされ、願いが叶う中、次々に家族をなくされ、家族と同様の牛も二年続けて亡くし七墓築いたのです。   

 さらにご自身も医者が見放すほどの大病を患うなど、様々なる苦難に出会われる中、どこまでも実意丁寧神信心と言われるほどの真面目な取り組みで物事にあたられ、神仏に心を向けていかれました。

 そうした実体験の中から42歳の大病を通して、私たちを生かしに生かしてくださる神様と出会われました。

 病気回復のおかげを頂かれた教祖様は、月3回農作業を休み神参り(当時、実弟

の香取繁右衛門さんが信仰し祀っておられた金神様のところ)をされ、やがて神様の仰せ(教祖様の心の中に生まれた神様の願い)のままに、ご自宅に祀られていた神様(金神様と呼ばれていた)に心を向けられお礼・お願いをされていきます。

 

 それから約4年間、教祖様と神様の間に“あいよかけよの働き合い”(神様からの色々のお試しに対して、教祖様がそれに応えられる。教祖様の実生活の中から生まれる問題、近所の方々が神様にお願いしてくださいと持ち込まれる問題を、神様に願い、神様と一緒になって解決に心を向けていかれる働き合い)の結果、教祖様46歳の時、天地金乃神様がこの世にはっきりとした形で現れました。

 

 その神様が教祖様に、「農業をやめてくれい。難儀な氏子の願いを神に取次いで欲しい」と頼まれたのです。教祖様は、その神様の願いを受け止めて農業をやめ、農家の一室に神様を祀り、そこにお座りになったのです。これが金光教の始まりです。

 教祖様の実体験とあらゆる問題を心の中で、その問題の本質や立ちゆく道筋を求め抜かれ、「神様の思い願いは何ですか」と問い続け、問答を繰り返す中に、神様の思い願いが形になっていったのです。

 形もない、声もない神様。

 この天地をご神体と言いますか、神様のお体として、私たち人間が生きる上での営み、恵みを与えてくださっている神様。

 その神様を【天地金乃神】と私たちにお示しくださいました。

 

 私たち人間が、子供を頂いて親となり親子の関係をもって、生きる上での色々の働き合いや営みや思い願いを取り組み、受け止めおかげを頂いています。

 この親子の関係と同じように、天地金乃神様と私たち氏子との関係も、親子の関係にあると、教祖様はわかりやすく【親神様】とお示しくださったのです。

 その親神様である天地金乃神様と、私たち(人間・氏子)との関係を理解し求め、現していくのが、金光教の信心であり私たちの生き方であります。

 

 お隣のご主人と車の関係のように、愛情を込めて接しておられ、私たちは神様とそういう親子の関係をしっかり取り組み、人と人、人と物、物と物との関わり方が大切な関係であり愛情を注ぎ、またお世話になっている関係であることをしっかり分かって、有難いもったいないという日々を過ごすことが、4月からの新学期・新年度の大切なところではないでしょうか。

 親神様である天地金乃神様の大祭、【天地金乃神大祭】が仕えられ、親神様のみ心

・思いに応えていく4月でありたいものです。

 

教祖み教え

○神を親と思って信心していれば、神の方から子と思う。たとえて言えば、子供の 

 そばに、親がいなければ、悪い者に棒でたたかれることもあるが、親が付いてい

 ればたたかれることはない。悪事災難は棒を持ってくるのではないから、しのご

 うと思っても凌げないけれども、神を父母と思って信心していれば、目に見えな

 い所は神が守ってくださる。

○人間がおかげを受けてくれなければ、神も金光大神もうれしくない。人間がおか 

 げを受けないで苦しんでいるようでは、神の役目が立たない。人間が立ち行かな 

 ければ、神も金光大神も立ち行かない。

○天地は生き通しである。天地が生きているから人間も皆生きていられるのである。

 

金光教諫早教会長 原 正忠

(教会広報誌のんのこ 2017年4月号より転載)