お隣のおばあちゃんが、教会の横を通っている小道を掃除されていました。落ち葉を掃き、草を採る作業を度々されます。ついでに小道と教会境内地の境にある垣根の元の草までとってくださるのです。
挨拶をかね御礼申し上げたら、「私がここにお嫁に来て以来、姑さんから『この道の掃除はあなたの仕事です。草一本生やさないようにしてください』と言われ、今日までずっとしてきました。ですから原さん、気にしないで」と返事されました。
もう50年近く姑さんの言いつけを守り、嫁としての親孝行を続けてこられた生き方に頭が下がる思いでした。
教祖様が、【女は家の家老じゃ。家老が良くなければ城がもたないというが、女が良くなければ家がもてぬ。】と仰っています。このお隣のおばあちゃんは、この教えのようなことをずっと守り・実践してこられたことを知りました。
私たちはどうか、と自問自答してみます。
結婚して嫁を頂いた時、この家に嫁として入った時、舅さん・姑さんからどんな話を聞いたのであろう。また、どんな願いを聞かされ、約束をしたのであろう。
それを実行実践してきたのであろうか。
私たちは、大なり小なりその取り組み親孝行させてくださいとの努力をしてきたから、天地金乃神様とのご信縁を頂き、生命を頂き、今日を生かされて生きているのです。
教祖・金光大神様も14才で、川手の家に養子として入られ、その時養父母との約束を守り農業に精を出し、川手の家を繁栄させ、田畑も広くし屋敷も増築、さらに新築と大きくされた。結婚されて子供も頂かれ、よき家庭を築き、のち家繁盛子孫繁盛のおかげを頂いていかれます。
教祖様の生きられ方。日々の生活の在り方から生まれた【信心辛抱】とか【実意丁寧】という生き方を、私たちは今の生活の場に現そうとしてきました。
そして数々の神みかげを頂いてきたわけです。
○実意丁寧、これこそ金光様が神様からご信用を受けられて生神になられたもと
じゃ。天地金乃神様を信心する者は、このもとの実意丁寧を一番に見習わなけれ
ばならぬ。
金谷町の高台(現在の諫早観光ホテル 道具屋の右隣 駐車場になっている場所)
に教会がありました。昭和19年、前教会長 原 正知先生が、諫早教会4代教会長として後継に入られました。戦後の厳しい社会情勢の中で、道の布教に当たるわけですから、大変だったことが想像できます。なかなか道がつかず布教が難しく、父は〈口之津教会に戻り修行のやり直しをしよう、母子は長崎の母の実家に返す〉と腹を決め、最後のご祈念をして床についた。その夜夢の中で、今の小豆崎町付近を正知先生が自転車で一生懸命漕いでいるのに先に進まない。難渋していた時、伊達登彦様(口之津教会初代教会長 伊達トリ先生の子息で、昭和7年に亡くなっておられる)が、『原さん難儀しているね。私が一緒に漕いであげるから。』と仰って自転車に乗ってくださり、でこぼこ道をスイスイと飛ぶが如く進んでいった、そのような夢をみたそうです。父は、この夢を神様のおぼしめしお知らせと頂き、伊達登彦様の霊徳のみ守りを感じ、口之津に戻ることを辞めたことで道がつき、諫早教会広前のご用が昭和64年まで金谷町の地で続きました。
父母はじめ歴代教会長の信心辛抱があってのことであり、教会の建物はじめ境内地周りを常に気にかけ、【荒れ地・荒れ屋敷にしてはならぬ】と、ご信徒の方々の清掃や維持管理に努力してこられた信心があってのことでした。
前教会長夫妻はじめ歴代の総代・ご信徒の方々の信心の徳、神様を祀ることに実意丁寧を込められたお徳が、平成2年 新道町に移転・新築という形で実を結び、1階駐車場、2階会堂広前、という鉄筋コンクリート建てのおかげを蒙り、後々は隣接地に3階建ての教職舎のおかげを頂いたのです。
新しい教会においても、教会家族・総代さんをはじめご信徒の方々がしっかり教会を守ってくださいました。玄関手すりのペンキ塗り・境内地にある植木の手入れ・
教会広前の掃除など、まさに【実意丁寧】の信心実践であり、【信心辛抱】の生活の場での取り組みが、全て教会の徳となって積まれていきました。
その間、多くのご信徒の家の解体奉告祭・井戸埋め感謝祭・地鎮祭・新築落成奉告祭、等仕えさせて頂き、【荒れ地荒れ屋敷にしない】とご理解をして、後のおかげを神様にお願いしてきました。そのご信徒の方々が、神を神と立て仰ぎ、天地金乃神様を親神様と頂いての信心生活が、諫早教会107年のお徳として築かれ積まれて、今日の諫早教会として実を結んでいます。
天地金乃神様のご信心をする私たち、今一度親神様の思いをしっかり受け止め、そして父母や祖父母 ご先祖様の思いを今一度掘り起こしていきたいです。
○この大地もその他の物も、みな神の物であるのに、わが物である、わが金でする
と思い、神にお願いしないでするから、叱られるのは無理もない。家を建てるに
も、神にお願いして、神のお土地をお借りし、今までの無礼をお詫びして建てれ
ばさしつかえない。
金光教諫早教会長 原 正忠
(教会広報誌のんのこ2017年5月号より転載)
コメントをお書きください