「礼、有難うございました」

 6月開催の諫早市中学校体育大会において、ご信徒の孫さんが剣道大会に出場して、所属する中学校が団体戦で見事優勝しました。

 夏の県大会に出場します。活躍が期待されます。

 また ご信徒の娘さんが、同じく6月開催の県高等学校体育大会にソフトテニスで出場、見事団体戦で優勝しインターハイ(全国高校総合体育大会)に出場できます。こちらも活躍が期待されます。

 お二人とも小学校時代からスポーツに打ち込み、心身を鍛えて立派な中学生・高校生と成長していく姿を見ることができ、嬉しいことであります。

 

 【礼で始まり、礼に終わる】という姿勢は爽やかであり、特に精神を鍛えてくれます。全てのスポーツが【礼で始まり、礼に終わる】という取り組みになっていて、試合の前・練習の前、それを実行しています。

 テレビでも実況中継されます、ラクビー・サッカー・野球・相撲など、 あらゆるスポーツで選手が整列して一礼する。1対1の試合でも必ず相対して一礼する。

 スポーツの魅力の一つが、この【礼に始まり、礼に終わる】精神ではないでしょうか。

 

 私たちは小さい時から生活のあらゆる場で、この“礼の作法”を教えられた体験してきました。

 食事を食べる前の「いただきます」、さらに「ごちそうさま」で手を合わせる。

 学校で授業が始まる時「起立、礼」、終わると「起立、礼」と号令がかかる。

 あらゆる場で、〈お世話になります。よろしくお願いします〉〈有難うございました〉という心を込めての一礼は、大切にされてきましたが、今の社会はどうでしょうか。

 

 金光教の祭典においても、「一同拝礼」(一礼して四拍手、一礼)で始まり、「一同拝礼」で終わる作礼になっています。これは、まさに神様に向けて、〈よろしくお願いします。お世話になります。〉であり、〈有難うございました〉という私たちの心持ち、真を形に表現したものであります。

 車の乗り降りにしても、風呂の出入りにしても部屋の出入りにしても、こうした

心持ち、一礼して始まり一礼で終わる生き方を実行実践していきたいものです。

無意識にそのことができていけば、どれだけ心豊かな精神を保ち、頂くことができるでしょう。また自ずと社会も、清々しい明るい日々となって行くものと思います。

 

(四代金光様のお詩)の中に

*   すばらしき言葉とわれは 思うなり 日本の言葉 お世話になります

*   礼をいうこころこもれる 言葉なり 日本の言葉 お世話になります 

 

平成29年も半年を終え、残りの半年(下半期)が始まります。

一つ、礼に始まり礼で終わりたいものです。

今、入院していようが、通院していようが、腹が立っていようが、自分の思うようにならず苦しんでいようが、〈お世話になります〉〈お世話になりました〉〈よろしくお願いします〉〈有難うございました〉と、礼に始まり礼で終わることを、今一度、取り組み直し、実行していきましょう。

 

(四代金光様のお詩)の中から

*   目のさめしこと勿体なし 苦も楽も すべてわが目のさめし のちのこと

*   めざめねば 今日一日の生涯は われにあらずと かしこみ思う

*   賜びしいのちあるありて 苦も楽もあり 苦楽が先にあるにあらず

 

 『痛とうても辛くても、今日生かされているのは、神様のおかげと思うたら、そのご恩を忘れないように、今日の生命にお礼を申していきなさい』

 とある先輩の先生の話です。

 お礼の大切さ・大きさ・素晴らしさを、もう一度自分の手元のところから、小さいところから始めてみましょう。

 「礼、有難うございました」

 

教祖ご理解

とかく、信心は地を肥やせ。常平生からの信心が肝要じゃ。地が肥えておれば、肥えをせんでも ひとりでに物ができるようなものぞ。    

 

金光教諫早教会長 原 正忠

(教会広報誌のんのこ2017年7月号より転載)