牛馬にいたるまで 身の上のこと 何事でも実意を持って願え

—9月は、教祖金光大神の生誕の月—

 

 今、教会には、皆さんの目にあまり見えないところで、小さい動植物が飼われ育てられています。

 玄関口にメダカと金魚がいます。共に2年から3年になります。 金魚の方は、市の夏まつりで孫が金魚すくいですくってきた数匹のうちの1匹が頑張って生きています。お嫁さんの水槽の水洗いや毎日欠かさずの餌やりのおかげでしょう。そうした取り組みがないと、ここまで生きていないでしょう。目に見えて大きくなってきたのがわかります。

 7月、卵から孵化させたカブトムシを3匹 孫からもらい飼育してきました。市販の餌を毎日やっていましたが、お盆が終わると共に残っていた最後の1匹が死に、天地に返してあげました。

 命ある小動物を飼うことの難しさを実感しています。犬猫のような大きなペットと違い、小さい動物は手もかかりますし、しっかりした手立てがいるようです。

 

○天地の間に住む人間は神の氏子である。身の上に痛みや病気があっては、家業ができがたい。身の上安全を願い、家業出精、五穀成就、牛馬にいたるまで、身の上のこと何事でも、実意を持って願え。(『天地は語る』経典抄172項)

 

 江戸時代、農業が国の仕組みの上で重要な役割、位置づけられていました。その農業の上に、人間の手足となってかかせないのが牛馬であります。そのため、納屋という所で家族同然に大切にして育てられてきました。

 農業をしておられた教祖は、飼い牛を大切にされましたが、一年毎に2頭の牛を亡くしました。世に言う神さまにご無礼があって七墓築くという内容になってあらわれました。

 ショックを受けられた教祖は、丁寧に葬ると共に、『凡夫の身の上、どこに神様にご無礼があったのかわかりません、お許し下さい』とお詫びぬいていかれます。  その実意丁寧神信心な教祖の生き方に神様が応えられ、42歳の大病を境に、神様と教祖との間にあいよかけよの働き合いが生まれていきます。その働き合いが数年続き、色々と目に見えるおかげ(奇跡、神比礼)が現れて、ついに神様が教祖に【農業をやめてくれい、神を助けて欲しい、氏子の願いを神に取り次いで欲しい、神の思いを氏子に伝えて欲しい】と頼まれ、教祖は神様の願いを受けられました。

 ここに、金光教が生まれるのです。生神金光大神の道、神様と私達氏子との取次による関係ができたのでした。

 

 小さい動植物の生命を目の前にしたとき、それが教祖時代の牛馬にあたり、今日の時代社会におけるペットの上に思いを馳せることになりました。

 金光教の生まれる元の、その元の小さいところに牛馬がいたのでした。

 皆さんのまわりのペットや、小動物のことに思いを向けてみて下さい。

 9月は神様の願いの元に、金光教を・取次の道を始めて下さった教祖生神金光大神の生誕の月であります。(9月29日が教祖生誕の日)

 金光教教祖が亡くなられたのは、明治16年10月10日にして、その日を大切にして教祖をお祀りし、その後は御大祭として仕えられています。          

 ご信徒の方々は、教祖の帰幽年月日は知っている方も多いのですが、逆に教祖の生年月日を知っている方は少ないようです。

 一教の宗教団体の教祖・開祖の生誕日が大きく取り上げられないのも、珍しいことであります。

 生まれながらに教祖・開祖であったわけでもなく、生まれた時から神がかっていたわけでもありません。岡山県の片田舎の小さい名のない農民の、香取十平、しも夫妻の次男としてお生まれになります。後に、神様からの頼みを受けて、農業を辞め、自宅を広前として取次に専念することなど、考えもしないし本人も家族さえも分かっていないのです。

 金光教では、教祖の生誕よりも、生神金光大神取次の神として、神上がりされたことの方が重要であり、意義あるものとして教え説かれ、伝えられていったのではないでしょうか。

 本部出版 【金光大神】の最後にこのように書かれています。

 

○金光大神の教えに従い、それを実践しようとする者にとって大切なことは、金光大神が示した 人を助けて神になり道を広めるとの、神から人間にかけられた願いを実現することであり、金光大神が生涯かけて求めた その生神の道をたどることである。

 

 私達は、ここに【生神の道(神人の道)】を歩んでいきたいと思うし、教会長先生(結界金光様)の取次を頂きながら、歩んでいかねばならない。

 

金光教諫早教会長 原 正忠

(教会広報誌のんのこ2017年9月号より転載)