「天地の間に生きているからには、天地金乃神の子に変わりはない」
諫早教会が新道町からここ西小路町に移転してきて3年になる。
ちなみに、金谷町から新道町に移転したのが平成2年である。昭和という時代は、金谷町で丸田先生、中村先生、長田先生、原正知先生のお取次を頂いてきた。
平成に入り、新道町、西小路町と、新しい土地にての布教活動を進めさせて頂き、ようもようもおかげを頂いてきたものよと、しみじみ感慨にふけっています。
昔を振り返り、おかげを頂いてきたと、言い聞かせお礼申し上げる生き方は大事であると思います。
先日長崎新聞に次のような記事が載った。日本建築士事務所協会連合会が優れた建築物を設計した事務所を表彰する。本年度の「日事連建築賞」で最高賞の国土交通大臣賞を、西小路町の当教会を建築設計して下さった事務所が表彰されたのでした。九州の建築事務所が同賞を受賞したのは初めてとも書いてありました。
そういう優秀な事務所設計士さんに当諫早教会は設計して頂いていたのですから、改めてこのご縁を有難くうれしく思わされます。教会建築を頂いたことを、しっかり自慢していいし、もっともっと有難いもったいない、畏れ多いとの心持ちにならねばと思わされます。
今孫達との遊びの中に流行っているのが紙飛行機飛ばしです。一番下の孫(5歳)は、折り紙で紙ヒコーキを作るのがすごく上手いのです。かっこいい形になっていると共に、それがよく飛ぶのです。その紙ヒコーキで広前いっぱいを使って飛ばし競争をします。私も、いつの間にかムキになって孫達と競っています。広前の外殿に入ると大変です。日頃孫達には、内殿外殿には入らないよう厳しく指導していますので、よく守ってくれています。外殿に入った飛行機はどうすればいいのか?手がほとんど届かないときは、長い棒を持ってきて取ります。その長い棒が届かないときは、新聞紙や広告紙を使って小さく丸めて紙の棒を作ります。その紙の棒作りにも孫達は一生懸命ですが、棒を使って紙飛行機を取り出すのも一生懸命です。
そうした孫達の一生懸命を見つめながら、今日も一日神様に見守られ神様の側で過ごせたことをもったいない、おかげを頂いたとお礼申し上げていく心持ちになりたいと思わされます。
いよいよ10月を迎えました。金光教では、教祖金光大神様のお祭りを迎えます。教祖金光大神様は、明治16年10月10日にお亡くなりになったので、その次の年に一年祭として、教祖大祭が仕えられ、以来ずっと御大祭として仕えられてきました。教祖100年祭以降、名称が変わり、今日は生神金光大神大祭として仕えられています。
○世界中、天が下の者は、みな天地金乃神の子である。天地金乃神のおかげは世界にいっぱいに満ちている。そのおかげがなければ空気がないのと同じで、人間は一時も生きてはいられない。(金光教経典抄「天地は語る」第18項)
○天地金乃神はこの世の親神であるから、天地金乃神に信心しているといっても、天地の間に生きているからには、天地金乃神の子に変わりはない。(経典抄第39項)
天地金乃神の信心をする者は、親神の氏子という関係を自覚して、親神様に喜んで頂き、信頼を得るような生き方を取り組んでいきましょう。
教会はその生き方を稽古する場所であり、教会の先生の話を聞き、その生き方を磨いていきたいものです。
教祖金光大神様が、どうして天地金乃神様と出会われた?といいますか、神様からすれば、一農民であった川手文治郎を選んだ?と言いますか、取次の働きを頼まれたのでしょうか。
簡単に表現すれば、一つは実意丁寧神信心の生き方を生涯貫き通されたということです。誰しもそうした生き方行為はできるし努力していますが、教祖様の生き方は人並み以上で、どこまでも徹底していたし、神様の信頼を得るだけのものでした。
二つ目が、どこまでも神を神と立て仰ぐ生き方をなされたことでした。あらゆる出来事を、人間側からいう善し悪しでなく、全てを神様の願いやお知らせ、おためし、おきづけと受け止め、有難いもったいない、畏れ多いと受け止められたのでした。有名な話は、三人の子供さんが疱瘡にかかり医師の手立てを尽くされましたが、一人のお子さんを亡くされました。その時、「一人の子供を亡くしたが、残りの子供を助けて頂いたのは神様のおかげ」と神様へお礼を申しておられます。
私達人間は、神の氏子、神様の思い子、いとし子であると教祖様は仰っておられます。神様の氏子である私達が、神様の思いに応えるためには、神様の心に適っていくには、教祖様が生涯貫き通された 【①実意丁寧神信心】と 【②神を神と立て仰ぐ行き方】を、今後取り組み直し稽古し、日々の生活の場でしっかりと実践させて頂きたいものです。
金光教諫早教会長 原正忠
(教会広報誌のんのこ 2017年10月号より転載)