平成30年の新春を迎え、元気に新年の挨拶ができましたのに、もう2月を迎えるとは、年月の経つ早さをひしひしと感じます。誰がこの時計の針を進めているのでしょうか。少しゆっくり回して欲しいと思うときもあれば、止めて欲しいと思う心もあります。寒い日々が続いていれば早く春になってほしいから、今度は逆に時計の針を早く回して欲しいと願っている私です。
2月は節分があったり高校入試が始まったり、また気が抜けない日々が巡ってきます。28日で終わりますので、短い月でもあります。一日一日をどれだけ大切にしていくか問われそうです。
2つほど孫の話をしたいと思います。
1月14日に町内の青少年健全育成会主催でもぐら打ちが行われました。3年前は教会新築ということもあってお祝いしてもらいましたが、次の年からは家内安全家繁盛子孫繁盛を願って打ってもらいました。この地域に残る伝統行事ですが、だんだん元気がなくなりつつあります。もぐらを打つ子供さん達が少なくなっていること、お世話下さる町内役員、老人会の方が減ってきていること、町内に新築とか結婚をされる家庭、子供さんが生まれる家庭がないようです。諫早教会のように、家内安全家繁盛申しましょうと、どこの家庭でも打ってもらうようなPRがいるようです。
当日子供さんには広前に上がって頂き、円陣を組み神前側に私と孫2人が座りました。お謡いが披露され(私は神様にお供えして頂いたという思いです)、3番のお返しの部分を、私に代わって孫(小学3年)が返してくれました。しっかりとした節回しで大役を果たしてくれました。「孫をはじめ地域の子供さんの元気な成長・活躍を祈らせて頂きます」とお礼の挨拶をしました。
1月の中頃、そのもぐら打ちの余韻が残っていたのか、竹の棒に藁の代わりにビニールを巻き、孫(幼稚園)ともぐらを作ってみました。ビニールが叩く度に抜け落ちます。そのビニールを、広告紙に包むように孫が巻き付けました。できあがったのが鬼の金棒です。それを持って「鬼は外、福は内」が始まりました。
幼稚園で節分のことが話題になっているのでしょう。次には奥の方から、おばあちゃんに大豆をもらってきて数え始めました。それぞれの年齢に応じて豆を拾うことを知っているようです。孫は5粒をすぐ升に入れました。私の番です。「70歳数えることできるかな」と言って数えさせます。30粒まではすっと数えていきます。ここで私も悪気が出て「60でいい」とストップを入れ升に豆を入れます。おばあちゃん、パパ、ママ、お兄ちゃん、お姉ちゃんの分を升に入れました。豆の準備ができました。次は豆以外に何をまくかということになり、私の要求に応じて、チョコレート、アメ、お菓子、玩具、トミカの自動車と次々に孫が自分の部屋から持ってきます。
次に鬼のお面がいるとのこと。昔は鬼の面を持っていたのですが、引っ越しの時に処分していたので作ることにしました。鬼の手本が何もないなと周りを見回していたら、先日知人から頂いた浮立の面が飾ってあります。それを手本にして鬼の面を2つ、孫は実にうまく作り上げました。節分の準備が整いました。2月を迎えるのが楽しみです。2,3日もすれば孫はもう興味が次に移っていて、節分は忘れているようです。
孫達と一緒に生活するようになり、孫達と遊んだり食事を一緒にとることにより、私は元気を頂き、初めに書きました時計の針を「ゆっくり回して下さい」とお願いしながら、今日も一日教会での御用を取り組むことができています。
2月11日報徳大祭を迎えます。教祖金光大神様の御跡を継いで下された、二代金光様(金光四神様)の大祭として始まりました。親の跡を継ぐことの大変さ、ご苦労もさることながら、親のお徳を正しく守り、正しく伝えていく働きを進めて下された二代金光様のお徳を頂き直すみ祭りです。そして、「信心は親に孝行するも同じこと」とみ教えがありますように、親様に安心してもらい喜んでもらえる日々をとりすすめることの大切さを頂き直す大祭となっています。
二代金光様の幼少の頃、親様である教祖様を頂きぬく、親孝行の一端を伺うことのできるエピソードを紹介します。
ある冬の寒い日に、宅吉は、金光大神の命によって浅尾へ使いに出た。曇り空なので金光大神に、「傘を持って、行きましょうか」と伺うと、「傘は持っていかなくてもよろしい」との返事だったので、そのまま出かけた。行く途中、玉島を過ぎた辺りで雨が落ち始めた。見知りの茶店の主人が、傘を貸そうとしてくれたが、宅吉はその好意に感謝しながらも、「きょうは親様が、傘はいらないと言われたから」と断り、浅尾へ向かった。用向きが済んで引き返すころには、雨は一層強くなってきた。浅尾でも傘をすすめてくれる人があったが、同じように丁寧に断って、道中ずぶぬれになって帰ってきた。帰って事の次第を報告すると、金光大神は宅吉の心根をいたく喜んだという。一番上に着ていた単衣を脱いでみると、それが雨よけのようになって、その下は少しもぬれていなかった。
天地金乃神様を親神様と頂く信心するものは常日頃、どういう生き方をすれば、どういうものの言い方をすれば、どういうおかげを頂けば、親様が安心し喜んで下さるのか。親孝行になるのかを考え、求め、心がけていきたいと思います。
最後に親様を頂くことを、四代金光様は次のように歌に詠まれておられます。
○亡き父をこころに呼べばつかれたる わが身力のよみがへり来る
○老いわれの生身のこのからだ 生ましたる母おろがみまつる
金光教諫早教会長 原 正忠
(教会広報誌のんのこ2018年2月号より転載)