教会の境内に今、菜の花がいっぱい咲いています。誰が種を蒔いたのでしょうか。
可愛い黄色い花を咲かせています。近くの小学校(孫たちが通学している)にある桜の花も満開です。
しかし、一雨・一風ごとに花びらが少しずつ散っていきます。天地の営み、働き、恵みは止まることなく、時事刻々先に進んでいることを実感させられます。
その天地の中であらゆる物のお世話になり、生かされている私たちもまた同じように、今日の生命も生活の営みも止まることなく、休むことなく今日明日へと動いています。
四月とは、そうした天地と人間との関わりが、一番実感できる時がもしれません。
私たちは、新年度(行政的に言えば、平成30年度の始まり)を迎え、子供達も
新学期を迎えました。張りきっています。親も大人も「よし、頑張るぞ」と気合が入っています。こうした姿を見られるのも、4月なのかもしれませんね。
◯鳥や獣がどのようにして生きていくかを考えてみても、神のお恵みがわかる。
冬になったといって重ね着をするでもなく、夏になっても一枚脱ぐこともない。神はそれでちゃんとさしつかえないように育てておられる。牛などが子を産んでも、別に親が温めてやることもないが、それでも大きくなる。木にしても、はじめは 目にも見えないような双葉であるが、だれが育てるということもないのに、大木 になって世のためになる。人はみなその恩を受けている。このようなことを考えてみても、神のありがたいことがわかる。みな、よく物の道理を知って信心しなければならない。【天地は語る24】
◯天地金乃神はこの世の親神であるから、天地金乃神に信心しているといっても、していないといっても、天地の間に生きているからには、天地金乃神の子に変わりはない。【同 39】
◯牛は人間と違い、寒い時でも寒さの用意もしないで、毛があるだけで、冬の寒中かぜもひかない。これは飼っている人間の力におよばない。鶏も山の鳥類、獣も 同様である。みな神がお守りくださっていることを悟るのが人間である。【同43】
教祖金光大神様のみ教えを見ても、天地金乃神様に守られていることを教えらます。
四代 金光鑑太郎様も、この天地・自然と共にあることを次のように歌にしておられます。
☆ 自然と共に生いきし 生いけるものの中 賜たびし一つの生命いのちなるわれ
☆ 自然と共に今日もわがある 喜びのあいさつかわす 庭の木草きくさと
私たちは、様々な宗教宗派のある中で、金光教にご信縁を頂きました。
教祖金光大神様は、このご信縁を通して私たちのことを、〔神のいとし子〕と教え諭してくださり、〔天地金乃神の信心する者〕は、と私たちの姿勢を示してくださいました。
この天地金乃神の信心する者は、ここに【天地金乃神】という神様を改めて頂き直し、神様の働き・恵みをしっかり身に受けとめ、日々の生活の場で天地金乃神様の願い思いを現して行かねばならないと思わされます。
金光教では、この天地金乃神様を改めて頂き直し、お祭りしていく月がこの4月であります。金光教の本部にて、4月1日・5日・8日と三回にわたって、天地金乃神大祭が仕えられ、そのご比礼・お徳を受けさせて頂き、各地の教会でご大祭が仕えられます。当諫早教会では、4月29日に仕えさせて頂きます。
天地金乃神様のお働きお恵みおぼしめし(これをおかげという)中で、生かされている私たちであればこそ、このおかげを粗末にして、無駄にしない生活が求められます。
天地金乃神を信心する者と言われるだけに私たちは、神様のお徳やおかげを、日々の生活の中で、しっかり頂き受けとめ、そのお徳おかげを感謝し、またそのお徳おかげを受けている喜びを実行実践していく取り組みを日々頑張っているのです。
だから私たちは、その日々の生活を〔信心生活〕と表現しているのです。
どういう信心生活になれば良いのか?
〔備えよ 常に〕というボーイスカウト活動でのモットーがあります。いつでも社会の為、人の為にお役に立つ用意をしています。その為の準備も常に心がけしています、稽古しています、練習しています、訓練していますという意味です。
天地金乃神様を信心する者は、いつでも常にお役に立てるよう信心の稽古をしています、という取り組みになりたいものですね。
教会の玄関口に【五つの祈り】が掲示してあります。
一、人を軽う見ない 一、人に恩をきせない
一、人を利用しない 一、人をあてにしない
一、人を責めない
私にならせてください
この五つの祈りに沿って日々取り組み、実践していくことが、天地金乃神様の願い思いに添えると思います。
共々に元気を出して信心実践していきましょう。
金光教諫早教会長 原 正忠
(教会広報誌のんのこ 2018年4月号より転載)