「世のために働きをたくさんしていきましょう」
新年度が始まり、子供さん孫さん達も新学期がスタートしました。
少しずつ仕事に慣れたでしょうか。新しい学校や学年に慣れたでしょうか。お友達もできたでしょうか。子供さん孫さんたちの正しい成長、良き人格形成、学業成就を、信徒皆で祈って参りましょう。
先月の新聞に次のような記事が出ていました。「70歳代、高齢者と言いません」神奈川県のある都市が宣言したという内容です。昨年には日本老年学会が高齢者の定義を75歳以上に見直すよう提案したこともありました。
今や時代社会は、65歳以上を高齢者とする固定観念が変わろうとしています。教会も、教会を取り巻く地域社会も、同様のことが言えるのではないでしょうか。教会では70歳以上の方が元気に参拝され、御用ができています。私をはじめ、80歳代の方も、まだ車の運転に従事して社会のお役に立っておられます。隠居をせず神様に使われるよう、しっかり心を神様に向けてくださっています。
私事ですが、今度私は町内の老人会長に推されました。前会長さんは93歳で、まだ元気に老人会長の職を果たしておられたのですが、耳が聞こえづらい、字を書くのが苦になったとの理由で、他の80歳代の先輩を飛び越えて、この会で一番若い私に指名があったのです。
お役に立たせて頂こうと引き受けましたが、前会長さんの93歳まで役目を果たすとなると、20年間会長をしていくことになります。気の遠くなるような、びっくりするようなことです。もしかしたら、神様が寿命長久のお約束をしてくださって、「93歳まで元気にお役に立てよ」と言われているみたいで、反面嬉しくなっています。
そんなときに、新聞記事「70歳代は高齢者と言いません」に出会ったのですからそうなると、「私は老人会長を辞退しないといけないのでは?だってまだ老人会に入会する老人ではないのですから」と言えるわけで、苦笑しています。
教祖金光大神様は
◯ 年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先に生まれてきたのではない。みな、神のおかげで生まれて来たのである。早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしている道理であるから、年寄りを敬うのである。【天地は語る305】
◯ 元気を出して信心せよ。年をとったのを苦に病むことはない。年をとっても一人前にできるのは信心だけである。信心していると、年を重ねるほど身に徳がついて、神がかわいがってくださり、若い者が大事にしてくれるようになる。【天地は語る 306】
○ 隠居は幾つ何十になってもするものではない。人は神が天地の内に働くよにお造りなされたのであるから、幾つ何十になっても手足の動く限りは働くのである。【同 307】
○ 人は一代、名は末代というが、人間は一代の内に、死んだ後へ名の残るようなことをしておくがよい。そのように思って働けば、年寄りが集まったとき、若い者が礼を言わない、喜んでくれない、と不足話をしないですむ。若い者から、おじいさんおばあさん、話が聞いたい、と言われるような信心をせよ。 【同 308】
教祖様のみ教えを頂くと、世のために働きをたくさんしているのが年寄りである、お役に立つ働きを喜んでくれているのです。年をとっても一人前にできることは、神様に喜んで頂ける、世のためにお役に立つことである、とも言われる。
高齢者だとか、70歳になったからと「年をとったのを苦に病むことなく」、元気を出してお役に立つ働きを進めていきたい。新入社員も、新学期を迎えた子供達も、お役に立ちたいと頑張っているのですから、私たち大人も頑張りましょう。
《大人の鯉のぼり》を心の中に掲げていきましょう。
金光教諫早教会長 原 正忠
(教会広報誌のんのこ 2018年5月号より転載)