天地金乃神様のお徳の中に生かされている

今度の西日本豪雨による多くの犠牲者の方々の霊道立てを祈ると共に、一日も早い復興を祈念いたします。

 金光教の本部がある岡山県浅口市大谷の隣町にあたる岡山県倉敷市真備町、教会やご信徒の多い広島県呉市、愛媛県大洲市など、想像を絶する被害の大きさがテレビで放映される度に心が痛みます。

 天地自然の猛威、台風、地震、津波、火山噴火など見たり体験すると、人間の無力さ、なすすべもないことを思い知らされます。

 61年前の7月25日、諫早大水害が発生し、多くの方々が亡くなられました。私は小学6年生でしたが、教会は高台にあったので被害に遭いませんでした。    

 しかしご信徒のところでは被害に遭われ、2階近くまで水が来たところもありました。一人の犠牲者も出なかったことが、教会布教にとっては大きなおかげとなって語り伝えられてきました。

 8月 長崎は、戦争や原爆で亡くなった人たちの霊道立てを祈り平和を祈る日がやってきます。しかし、今 私達の目の前に突きつけられていることは、戦争や原爆のことでなく、日々の生活がどうあるのか、どう生きていくのか、どう死を迎えればよいのかという手本のことではないでしょうか。

今度の西日本豪雨による犠牲者の7割が60歳以上の方と報道されています。

 高齢者の死亡が目立ち、自分の力で避難することが困難だったり、逃げ遅れた可能性もあるということです。私達は、水害も地震も台風も大丈夫と思い込み毎日の生活を送っています。「大丈夫です」という生活を今一度見つめ直し、無事過ごせていることにもっと感謝し、お礼を申していかねばならないのではないでしょうか。

 

 西日本豪雨で多くの被害が生じたその後に、梅雨明け宣言が出されました。ほっとするもなく、いきなり真夏日、猛暑の日々が続いています。熱中症警報が発令されました。

 私たちの周りに起こっている事柄を、どう受け止め対応していけばよいのでしょうか。天地金乃神を信心するご信縁をいただいた私たち、「暑いですね」「今日もきついですね」と不足や愚痴を言わぬよう努力していますが、誰も見ていないところでは、つい「暑い」と口走っています。天地の神様には聞こえています。

 天地金乃神様・親神様のみ働き・お恵みに対して、不足を言うことになるのですから、「ありがたく頂きましょう」と教えられてきました。今、まさに、私たちの信心、親神様の思し召しを頂く生き方が問われています。

◯ みな、おかげをくださいと言うが、果たして本当のおかげを知っているのか。自分の思うとおりを聞いてくださるのがおかげとは限らない。死んでおかげの者もあり、命をつないでもらっておかげの者もある。すべてこの世のことは天地金乃神のご支配であるから、神に任すよりほかはない。 信心していれば、その時は都合が悪いようでも、神の仰せにそむかないでいると、後になってから、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかってくる。これがわかるくらいの信心をしなければ、信心するかいがない。【天地は語る131】

◯ お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげである。

人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである。【同56】

 

 天地金乃神様、親神様を恨むことのないよう、次のお話を紹介しますので、一緒に考え、信心を求めてみましょう。

 昭和5年7月30日、佐藤範雄先生が、金光から教会のある芸備にタクシーで帰られている途中、何一つ障害物のない見通しのきく平坦な道にも関わらず、池へ車が転落した。大難は無難に、かすり傷一つせずお供の人も助かり、お帰りになった。  

 帰られるやいなや、「金光に電報を打て。ご無礼のお詫びと無難の大みかげをお礼申すのじゃ」とおっしゃった。みな大変喜ばれ、そのご神徳を称えておられた。 

 私(佐藤洋次郎師)は、青年期にあり、神も天地も信じられない頃であったので、「みんなずぶ濡れになっていてそれをなんでおかげというのか、池の中に落ちないのがおかげであるのではないのか。落ちてから何を言うのか」と反発し神様を恨みお広前先生(佐藤照師)にお取次を頂いた。

 「こういうことを私に言え(答えよ)いうても、私に言えるものか。これからおかげを受けていけば、次第に分からせてもらえる。お前は今、ええところへ気づかせてもらったのじゃ。お前の心へおかげを頂くよう願ってやる。」とのお話があって、神様のことは一言も言われなかった。

 「お前の心へおかげを頂くよう、お願いしてやる。心配せんで、すがっておれ。ただ一つ言っておくぞ。これだけはおろそかに思うてはならん。先生(佐藤範雄師)は、神様から大層かわいがられたお方なのじゃ。それだけ知っておけ。それでも  お前はよう尋ねてきたのう。来たからにはお願いしてやる」というご理解があった。  

 佐藤範雄先生は、今月今日心底から、御神徳の中に天地のお働きを受けきっておられ、どんなことに出逢っても、神様に生かされておる確信はいささかもお変わりがなかった。

 

金光教諫早教会長 原 正忠

(教会広報誌のんのこ 2018年8月号より転載)