寒中お見舞い申し上げます。
新年を迎えることができましたこと、有り難いことであり、私たちを生かし恵み育んでくださる神様へお礼を申し上げます。
昨年から「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」のお葉書を多数頂きました。先代原正知先生は、この喪中葉書を見て、『寂しいね。遺った家族もみんなと同じように新年を迎えさせてもらった喜びを、素直に“おめでとう”と出していいのにね。教会も喪中ですから年末感謝祭も元日祭も失礼しますとはいかないよね。年賀葉書を使って、“寒中見舞い申し上げます”と新年を迎えた喜びとお礼に、お世話になったことへの感謝に、挨拶させてもらいたい』と言っておられました。
神様のお働き、お恵みを頂かねば生きていけない私たちであります。
世の中の習慣だけに心配りをするのではなく、今朝目が覚めたこと、今日も家族が元気であること、今日一日三度の食事が頂けたことなど、日常の当たり前の生活に心配りをしていきたいものです。
○天と地の間に人間がいる。天は父、地は母である。人間、また草木など、みな天の恵みを受けて、地上に生きているのである。(教典抄『天地は語る』 第1項)
○世界中、天が下の者は、みな天地金乃神の子である。天地金乃神のおかげは 世界にいっぱいに満ちている。そのおかげがなければ空気がないのと同じで、 人間は一時も生きてはいられない。(同 第18項)
金光教は、今年2019年は有難い年に位置づけられています。江戸時代安政6年(1859年)10月21日、教祖金光大神様は神様からの頼みを受けて、家業であった農業をやめ、自宅を神様の広前として取次の働きを始められました。
この日をもって、金光教が生まれた日、立教の日と定められました。その日から数えて今年は 立教160年になります。
神様の願い頼みを教祖様が受け止められて、神様と教祖様との間の働き合い、 取次の業が 江戸時代明治大正昭和という激動の世の中を経て、平成を迎えて30年、途絶えることなく分派することもなく、160年続いてきたことがすばらしくもったいなく、恐れ多いことと歴史を振り返っています。その歴史のつながりがあって 各地に金光教の教会が生まれています。
当諫早教会も明治43年4月、諫早市竹の下に初代教会長 丸田芳助先生によって開教され、神様と教祖様の働き合いそのままに、諫早教会の広前において取次の働きが進められてきました。二代教会長 中村増市先生、三代教会長 長田二郎先生、四代教会長 原正知先生、そして私と代を重ねて今年教会開教109年の年柄を迎えることができました。その間、諫早教会にご信縁を頂かれた方々が金光教の信心を
求め学ばれ、この道による生き方を稽古し日常の生活の場に現し、教会長先生との間に取次の働き合いをすすめて、神も助かり氏子も立ち行く歴史を積み重ねてきました。 今年、新しい年号になるなか、歴史の重みを感じています。新年を迎えたということは一つ年をとり重ねたということであります。
教祖金光大神様と神様との働き合い、また諫早教会における歴代教会長と氏子の
皆様との間に生まれた取次の働きの徳・恵みがそこに積み重ねられているということであります。ありがたい、恐れ多い、もったいないおかげがそこに現れている
証しなのです。おかげの中にあるということです。
“喪中につき”では相済まないことであります。神様のみ守り・み働き・み心を受け止め感じるのが新春であり正月であります。
今年一年しっかりした目標と願いを立てて、信心生活を取り組み進めてみんながおかげとなりますよう、「今年もよろしくお願いします」と挨拶いたしましょう。
みんな一人ひとり、目標・願いは違います。立てて頂きたい。そしてその上に家族として、地域社会として、教会として、それぞれの団体として、目標・願いを立てて頂きたいと思います。
その目標・願い達成のための努力に対して、常にその根底に
○世話になるすべてに礼をいう心
○み教えにより信心をすすめ お役に立つ人になるます を置いて下さい。
皆様のご健勝とご活躍をお祈り申し上げ、お取次させて頂きます。
金光教諫早教会長 原 正忠
(教会広報誌のんのこ2019年1月号より転載)