あいよかけよで氏子(ひと)もたちゆき、神もたちゆく

 金光教の教祖(教祖生神金光大神、以下、金光大神と記す。)は、46歳のとき(1859年・安政6年)神様から、家業である農業をやめ、人の願いを神に祈り、神の願いを人に伝えて、人を救い神を助けてくれるようにと、「取次(とりつぎ)」を頼まれました。

 金光大神の助かっていく姿に、世間の人々も心を動かされ、相次いで金光大神のもとにたずねてくるようになっていたからです。

 金光大神は、人々の願い、苦しみをつぶさに聞き取って神に祈り、一人ひとりに懇切に、神と人とのかかわりを教え、人生のあらゆる営みに神のはたらきを受け現す生き方を諭したのでした。

 人々は、金光大神の取次によって、人を助けずにはおかぬという天地の親神の切実な願いを身に体し、何事も神に祈って神とともに生きる信心にめざめ、次々に助かっていくことになりました。この神と人を結ぶ「取次」によって、神も助かり人も立ち行く世界が開かれたのです。

 明治6年、金光大神は天地書附を世に示し、一人ひとりが自らも助かっていくと同時に、世の助かり、人の助かりを願い実現していく信心を確立するよう、人々に促していきました。

 金光大神は、明治16年に亡くなるまでの24年間、神様一筋に仕え、神の心を人に取次ぐことに専念し、難儀に苦しむ多くの人々を救い助け、導いていきました。

 晩年、金光大神は、「形がなくなったら、来てくれというところへ行ってやる」と語りました。今日もその通りに、世の人々のために、生神金光大神として、取次の働きが進められているのです。

金光教本部サイトより

日に日に生きるが信心なり

 金光大神は、日々の生活における助かり、人間そのものの助かりを教えました。それは、「日に日に生きるが信心なり」と、信心にもとづく生活を進めること、生活がそのまま信心になる生き方を、たゆみなく求めつづけることなのです。

 信心とはわが心が神に向かうことであり、その姿をもって日々の生活を送ることです。そこに神のおかげを受けることができ、生かされて生きている人間であることの自覚が深まっていくのです。

 健康、経済、仕事、人間関係などの上に起こってくるさまざまな問題も、信心を進める上の大切な問題として、神様から差し向けられた事柄であると受けとめていき、いつでも、どこでも、どんな事柄でも神に祈り願って、日々神と共にある生き方を進めていくことが信心生活です。

金光大神は、「わが心に神がある」と語り、人間の心を大切にすること、そして人と人との真実の心のふれ合うことの大切さを説きました。

 さらに金光大神は、この世に生を受けたもののつとめとして、「人を助ける身になれよ」「人の難儀を助けるのが有り難いと心得て信心せよ」と、人を助ける人間になることを願いつづけ、人を助けるのが人間である、と教えています。

 「かわいい(ふびんでならぬ)という思う心が、神心である」との教えのように、難儀な人を見て、ふびんに思う神心は、だれにも神様から分け与えられています。この神心をもって、人を助ける使命に生き、そこに大きな喜びを見出していくのが、信心であります。

 私たちは、けっして一人で生きているのではありません。多くの人の世話になり、物の恩恵を受けて生活を営んでいます。お互いが手をとりあい、心を開いて歩むのでなければ、人間の真の助かりは実現しません。難儀に苦しむ人々が、一人でも多く助かることが神様の悲願であります。

 神の子であるお互いが、神様の悲願を身に体して、助け合って生きること、そして、「人を助ける」働きをしていくことが、人間の真実の姿であり、これを「生神(いきがみ)」といいます。

 金光大神は、「生神ということは、ここに神が生まれることである」と語っております。

 つまり、生神とは、特別の人のことではなく、信心すればだれでも生神になることができるのであり、時、所を問わず、どんな事柄についても、それに当たる人の心の中、働きの上に神が生まれることなのです。

『人はみな神の子−金光教概要−』から抜粋